流れる星は月に隠れ塔に消える

星は希望。月は幻惑。塔は破綻。

進学生活

自分は高校に入った時から落ちこぼれであり、自分の得意教科では上位を取る事もあったけど基本的には底辺を彷徨って、大学もその程度のところにしか入れなかった。

おそらく同じ高校の卒業生で同じ大学に入った人はかなり少ないだろうと思う。卒業した今、大学名を聞かれて答えてもわからない人が大半を占める。

そんな学校名で考えた没落記。

 

 

自分は幼稚園に年中組から通い始めた。

正直、幼稚園は2年間通っていたわけだが、ほとんど記憶がない。

文部科学省所管の制度だし、何か勉強をしたのかもしれないが果たしてそれが役にたったのか。

 

小学校はごく普通の地元の公立の学校に通っていた。

小学校のテストは他の人よりできるタイプだった。

漢字テストか何かで凡ミスをして100点が取れなくて悔しがった記憶もある。

1年生の頃からベネッセの通信教育を受けていた。これが成績に繋がっていたかはわからない。

ひたすらめんどくさいな、ゲームをしたいな、遊びたいなと思いつつやっていたような気がする。

正直、勉強のモチベーションはないけど親から言われるままに何となく勉強していたら出来ていたタイプだと思う。

あと、小学校では満点だと先生からそれがクラスに明かされるので、異性を主ターゲットとした見栄でがんばっていたような気もする。

5年生から塾に通い始めた。

そこは普通のクラスと特進クラスといういわゆる一段階上のクラスの設定があった。

自分が入る時には特進クラスはなかったが、自分が特進クラスに見合った成績を入塾テストで取れれば、もともとその塾に通っていた1人と合わせて特進クラスを創設するという流れだった。

その入塾テストでは裏面に問題がある事に気付かずに表面だけ回答していたが、その表面で特進クラスでも大丈夫だろうと判定がされ特進クラスになった。

6年生くらいの時に地元で唯一の公立の中高一貫校の試験を受けようとしたが、そもそも抽選の段階で落ちた。

よってそのまま中学に進学してもその塾に通い続ける事になった。

 

 

中学校もごく普通の地元の公立の学校に進学した。

その中学校は比較的おとなしい校風だった。

同じ市区町村内の他校では、体育館で爆竹を鳴らしたとか色々と荒れている噂が流れてきた。

自分の下の世代にヤンチャなのがいてちょっと校風が変わったとは風の便りで聞いたが、卒業後に足を踏み入れていないのでよくは知らない。

中学校に入って成績のブレが出始める。

中学校では中間テスト、期末テスト、実力テストというものがあったが、これらのテストではクラス内順位や学年順位が出る。

基本的には上位1割には収まっていたのだが、ある時上位2割にも収まらない順位を取った時があり、この時は親に何か言われたような気がする。

中学の時の勉強のモチベーションは明らかに黒かった。

そのモチベーションは前述した塾のもう1人の特進クラスにいる同級生よりいい成績を取るという事であった。

詳しくは省くがその同級生の事が自分はとても嫌いでそいつだけには絶対に負けられないという思いで勉強をし、テストにおいて点数で勝るのは当然の事として普段の塾の授業で問題を解く時にも早さでも勝つ事を目標としていた。

まあ、こう書くと塾ではガリ勉だったのかと思われそうだが、塾には勉強に来ているはずなのに無駄に騒ぎ、休み時間はいかにして同級生を巻き込んで遊び倒すか考え実行し続けていた。こう今振り返ると他の生徒や先生にどこまで迷惑で生意気で鬱陶しく面倒くさい生徒だったんだろうと思う。たぶんやれば出来るはずなのになかなかやらない奴だと思われていただろう。

 

だいたい特進クラスの同級生に対して安定して勝ちを収められるようになってきて、どうでもよくなってきたのか受験生である三年生の夏休み、家にいる時は勉強するといいながら昼寝を繰り返すようになってきた。勉強を始めたら眠くなるんだから仕方ない。

だいたい親にバレて怒られたが。親からすれば受験生になって昼寝ばかりしていて心配だっただろう。

 

 

高校は同じ都道府県の公立の学校に進学した。

その高校はいわゆる旧制中学から続く伝統校で進学校であった。

都道府県内の公立校では上から数えて5本の指に入ると言われる評価だった。

ここで嫌いな同級生と完全にお別れになる。嫌いすぎて記憶から抹消されたのか、どこの高校に行ったのかわからないが少なくとも自分の方が勝ったという思いはあった。

そして、勉強へのモチベーションは完全に失われる。

どうしても勝ちたい敵はいないし、見栄を張りたい相手もいない。

そんな中で事前学習資料を渡されていた春休み、全く勉強をせずに過ごし、その結果として入学時のテストで下位5%であった。

ここから底辺の高校生活が始まる。

勉強に対するモチベーションがないのと、逃避の遊びに対する熱意と新しい遊びを覚えた結果として全くといっていいほど成績は上がらなかった。

科目によるブレがとても大きかったが総合順位では入学時ほどひどいものではなかったが、下位3割を抜け出すことはなかった気がする。

科目によるブレが大きい例としてある教科のテストでは常に上位5%を取っており、ある教科の小テストでは再テスト、再々テスト…再^4テストまで受けた記憶があり、その教科の成績が悪い自分を含めた三馬鹿がちょうど三角形になる位置に座っていたことからトライアングルとまで名付けられた記憶がある。

 

 

大学は私立の学校に進学した。

前述のような成績しか取っていなかったのでセンター試験の結果も散々であったが、まあ受かる学校はあった。

公立はとてもハードルが高い妥協なしの学校に設定し、行けたら行きたいという願望の大学を受験し、当然の結果として落ちた。

私立は自分の能力ギリギリラインの学校をいくつか滑り止めとして受け、それにどうにか引っ掛かった。

浪人をして公立の学校を再度狙うという選択肢もあったのだが、1年間勉強漬けの生活というのが勉強嫌いでとても耐えられそうになかったので進学した。

勉強とアルバイトしかなかった1年の時には成績は忘れたが、とりあえず単位は全部取っていた。

しかし、1年の後期くらいからとある事が原因で大学から終電帰りを繰り返すようになり、また新しい遊びを覚え講義に出ても講義を聞いていないことが増えかなりの落単をするようになった。2年の前期では受けた講義の半分以上の単位を落としたように記憶している。3年の前期でとある事は終わったのでそこからまた終電帰りの生活は終わってだいぶ持ち直したが。

3年からは研究室に所属するようになったが、これが苦痛だった。

教授が悪いとかそこにいる人が悪いとかいう話ではなく自分が研究にという事に向いていないのだろう。

または研究をするテーマが全く自分にあっていないものだったのだろう。

新規性、創造性が求められていたが自分には全くそういったものがなく毎週訪れる進捗発表においては常にお茶を濁していた。

そうして2年間研究室を過ごした。

研究が嫌いだったので大学院に行くという選択肢もあったはずだが、自分はすぐにそれを否定し就職活動をした。

研究が苦しかったのもあって就職活動でも、研究内容と合致する業界があるにも関わらずその業界、職種は1社も受けずに就活に取り組んだ。

 

 

こうして振り返って、今までに自分に身に付いた知識、考え方は何だろう、いつ、何が身に付いたのだろうと思う。

義務教育期間である中学までの知識しか今に残っていない気がする。

それももうしばらく使っていないのでだいぶ忘れているが。

高校、大学で得たものが人間関係しか思い浮かばず、果たして本当に自分は授業、講義を受けていたのだろうか。

今となっては当時に勉強したはずの範囲のことが懐かしくまた勉強したいとふと軽く思うときもある。

当時、勉強に対する取り組みが違ったらその後の人生はどのように違っていたのだろうか。