流れる星は月に隠れ塔に消える

星は希望。月は幻惑。塔は破綻。

クズと本物

寂しさを感じるのは一人でいることに慣れていないから。

寂しさをわかるのは一人でいない時の感覚を知っているから。

 

 

興味のない人から向けられる好意ほど気持ち悪いものはない。

これには心当たりがあって、小学生くらいの時にそういう噂が自分のところにまで回ってきた。

本人に直接好意を伝えられたわけでないから、本当だったのかわからないけど、当時自分はその噂を聞いて以降その人を避け、嫌われるようにした記憶がある。

相手の事が好きの好きの中には自分を好いてくれるも多分に入っている。

相手がどう思っていようと好きなんて、無償の好きなんて何かがおかしい。

無償より怖いものはない。

自分にはわからない理由は無償に見える。

無償にはどこかで疑いそれを信じる事が出来ない。

最近は人の好意の、重さの、熱の怖さを感じている。

だから自分が好意をおぼえていない他人からの好意を感じた時、一歩引いてしまっている。

好意とまではいかなくても接近を感じたら。

そして一歩詰められたらまた一歩引き、二歩詰められたら二歩引いている。

完全に好意も接近も自分の勘違いかもしれないけど。むしろ勘違いの方が可能性高い気がするけど。

ただ、すべての他人と険悪になりたい、親しくなりたくないという訳ではないので、もうその人には相手がいたり立場が違いすぎてそういう事を考えなくていい他人とは特別に距離を考えてはいない。

 

 

自分の事について好きとか嫌いとかそういう強い感情をおぼえた記憶はない。

ただ、自分を変えたいとか思わないしむしろ変えたくないと思っている部分があるから好きなんだろう。

変化が怖いから変えたくないという部分も多分にあるつもりではあるけれども。

他人からも自分にしか興味がないように見えるとも言われたことがあるし。

自意識の塊なのかなと思う事もある。

だから、本当の自分なんて、ろくでもない。あなたはきっと嫌いになる。自分だって自分が好きじゃない。

 

 

自分の存在価値を他人に依存していたらその人に否定されただけで世界が終わるような気持ちになってしまうだろう。

その人に拒絶されたらどうやって立ち直ればいいのだろう。

人間はどうして一人じゃ生きられないのだろう。

他人から与えられる熱はどんなに熱くても、重くてもそれは有限だ。

その熱が尽きた時もっとずっと冷たい場所で一人になる。

 

 

いつからなのかもうわからないけど、好意も欲も違いがわからない。

所有欲、性欲、独占欲、顕示欲、支配欲、優越欲、承認欲…etc

自分のモノなら所有権がある。

所有権はモノを自由に使用収益処分全面的支配できる権利。

どのように使用しどれくらいのどんな利益を得られどのようにするのか。

ただそのモノには意思があり自律行動する。

もう単純に寝たい。ただそれだけ。

それでもそれはモノ相手だからぶつけられるもの。

相手がモノでないと認識した時点で相手に意識がある事を意識する。

どう思われているのか。自分が異常ではないか。標準から外れていないか。

それを考えた時点でもう恐れと躊躇と羞恥心しか生まない。

自分がそれを認知した時にはそれは自分以外の多くに認知され繋がりがある。

その全てを知る事は不可能。でも関わる全てを知りたい。そんな歪み。

自分で変わらないのなら他の誰の手によって変わる貴方も見たくない。

自分はそれを手に入れたと誇る心。

自分でそれをする自分を嫌う自分がいて、それでもそれをしたくなる自分がいる。

果たしてその時が来た時にどちらの自分が勝るのだろうか。

全て指図をし全て自分の思い通りにする。

それは果たして楽しいのだろうか。面白いのだろうか。豊かなのだろうか。広がりがあるのだろうか。つまらなくないのだろうか。

他の誰かが手に入れていないそれを自分は手に入れる。

もうそれはそれと誰かがなくなったら満たされない儚いもの。そんなものは必要なのだろうか。

自分で自分の価値を確立できなかった醜い成れの果て。

一人で生きていけないし生きていないから獲得したのだろうけれども。

最初から一人だけなら全て所有し相手もいなくて全て無になる。

一方的に幻想を妄想を憧れを憐れみを蔑みをぶつけられたから、甘えてつけこんで踏み躙って自分勝手な願いを押し付けられたから好き。

それは果たして本当に好きと言えるのだろうか。

 

 

好きになったらもうその人じゃないと駄目。

そんな事を考えた事はまだ一度もない。

故に誰かを本気で好きになった事は一度もないのだろう。

今までの全ては欲。

欲望はキリがない。

堰を切ったように止まらなくなる。

欲望は全てを浸食し破壊するかもしれない。

 

 

自分が本当に欲しい言葉は本当に欲しい相手からは絶対にもらえないようにできている。

気持ちなんて手に入らなくて当たり前なら偽りの温もりだけ。

温もりなんて接するだけでも手に入る。接しなくても近づくだけでも。

 

一線とは超えた瞬間わかるものだったり或いは踏み込む前から見えていておそれて留まったり意図的に踏み越えたりするものらしい。

自分はいつもおそれて留まる。そして相手から越えてきたら仕方ないねという予防線を張っている。それを踏み越えてという願いをこめて。

 

他人との秘密は心を救う。

それから生まれる仲間意識、身内意識、そこからの優越感。

 

 

騙されて信じ切っている人に横から出ていって本当のことを言っても嫌われるだけ。

自分は騙している人の他の部分を見て騙されているだろうと感じていた。

でも騙されている人に自分を信じさせる事ができるとは全く感じていなかった。

故に見殺しにした。

その結果、騙されていた人はさらに心が砕けた。

人間不信になったかもしれない。

これは自分のあやまち。

また同じ状況になったとしても同じ事を繰り返すしかないけれども。

 

 

本当の気持ちは鍵をかけて一番深いところに隠して誰にも知られなくていい。

本当の気持ちなんて醜いものは人を遠ざけるだけ。

人に暴かれ人に勝手に憶測され勝手なイメージ付けが為される。

本当の気持ちを隠す為に自分で自分を騙し仮面を作り溶け込む。

そうして自分でも本当の気持ちを忘れわからなくなる滑稽な自分。

 

 

なぜ物語を必要としてきたか。

心を分かち合うため。それ故に人は物語る。

果たして自分には心を分かち合う相手はいるのだろうか。